音楽の入り口を、少し広げるために
私は音楽療法士として、多くの子どもや大人と音楽を通して関わってきました。その中で、何度も耳にした言葉。
「音楽きらい」
「子供の頃ピアノをやらされてイヤだった」
音楽が嫌いな人は、本当にそんなに多いのだろうか。
実際に関わってみると、音楽そのものを嫌っている人はほとんどいません。歌うこと、リズムに合わせて体を動かすこと、楽器の音を出すこと。音楽には本来、人を惹きつける力があります。
では、なぜ?
楽器を始めたときや学校の音楽の授業で、途中から自信を失ってしまう人がいて、その理由の一つが「楽譜」だと気づきました。
五線譜を読むことが難しいと、音楽の世界は突然高い壁に囲まれたように感じられます。周囲の人が演奏できる中で、自分だけがついていけない。やがて楽器を手にしなくなり、音楽から距離を置いてしまうこともあります。
私はそうした子どもに、現場でたくさん出会いました。
あるとき、発達性ディスレクシア(読み書き障害)のある青年たちと話をする機会がありました。学校教育を終えた彼らは、自分たちの経験を率直に語ってくれました。
その中で、ある青年がこう言いました。
「努力も評価してほしかった。」
楽譜を読むことが難しい彼らは、人一倍努力していたそうです。しかし結果として演奏がうまくいかないと、その努力が評価されることはほとんどありませんでした。
「音楽は好きなんです。でも授業はつらかった。」
その言葉は、今でも私の心に残っています。
一方で私は、小学校の授業で全く違う光景も見ました。これまで授業に参加できなかった子どもが、ある方法をきっかけに突然やる気を見せる瞬間です。楽器を手に取り、自分から音を出し、合奏の中に入っていく。その変化は驚くほど大きなものでした。
そのときに使われていたのが、色や形で音符を表す「フィギャーノート」という記譜法でした。
この方法を音楽の先生方やピアノ指導者の方々に紹介するようになると、もう一つ興味深い体験をすることになりました。五線譜を読み慣れている音楽の先生ほど、最初はフィギャーノートを読むことができないのです。
先生方は戸惑いながらこうおっしゃいます。
「色で目がチカチカするし、何が書いてあるかわからない」
そのとき、多くの先生がはっとされます。
「あの子は、いつもこんな気持ちだったのかもしれない」と。
この小さな気づきが、指導の視点を変えることがあります。
私は五線譜を否定したいわけではありません。五線譜は長い歴史の中で育まれてきた大切な音楽文化です。しかし同時に、そこに至るまでの入り口は一つである必要はないのではないかとも思います。
実は私がこのような「橋渡し」の活動を大切に思うようになった背景には、別の経験があります。
法人設立以前、私は成人の吃音のある方々のサポートに関わっていました。吃音のある方の音楽療法を担当したことをきっかけに、当事者の方々と、吃音に戸惑う周囲の人々の間に大きな理解の隔たりがあることを知りました。
しかし当時、民間療法として高額な器具を販売する業者なども存在していたため、私の活動も当事者や団体から強く警戒されることがありました。理解していただくまでには長い時間がかかり、決して楽な道のりではありませんでした。
その経験から、私は強く思うようになりました。
困っている人と、その状況に戸惑っている人の間には、信頼できる橋渡しが必要なのだということです。
現在、私はフィギャーノートを通して、音楽の先生方やピアノ講師、教育関係者の方々にその可能性を紹介する活動を行っています。これまでに約700名以上の先生方にお話しする機会をいただきました。
この方法は、特別な支援が必要な子どものためだけのものではありません。
楽器を始めたばかりの子どもや大人、長いブランクのあとに音楽を再開する方、そしてシニア世代の方など、さまざまな人にとって音楽の入り口をやさしくしてくれる可能性があります。
私たちの活動は、特別な教育法を広めることが目的ではありません。
また、誰かの困りごとにつけ込むようなものでもありません。
音楽は、本来すべての人のものです。
その入り口を、少し広げるお手伝いができれば幸いです。
代表 松田真奈美
2025年9月 法人設立10周年の節目に